2017年04月24日

武禅三戦道の「巻き藁」

空手家にとって「巻き藁」は単に正拳を鍛える古典的な方法で物がない時代の先人の工夫なのだろうか?・・「空手会館」の巻き藁の設置場所と扱いを見れば、伝統空手家にとって「巻き藁」とは運動場の隅にでも立てておく程度の物になってしまったのだろうか?(スポーツ空手、実戦空手、推して知るべし)

・・武禅はその巻き藁鍛錬は時代と共に空手家の心から離れて、いずれ消えて無くなるか?伝統空手道場でさえ、あと数年後は道場の隅に立つ飾り物になってしまうのではないだろうか?と危惧する・・・
武禅三戦道にとっての「伝統空手の巻き藁」は、どんなに科学が進歩しても、もうすぐ人工知能により人間の生活環境が劇的に変わっても「空手の巻き藁」は伝統空手家に「道」を求める「求道心」が失われない限り巻き藁は生涯常に空手家の横になければならない大切なものだと思っている。

さて、武禅三戦道にとっての「巻き藁鍛錬」とは伝統空手道の基本中の基本であるが、又単に強力な正拳を鍛える(作る)ための道具でもなくて、武禅にとっての「巻き藁鍛錬」は正拳云々とは全く次元が違うのである。が、確かに巻き藁鍛錬を通さなければ伝統空手を理解するのは不可能であり「巻き藁」を通してのみ「空手の攻防(型)の理法」が身体に沁みこむのであり、その攻防(運動)の発動は「師の巻き藁」の前に立った時に我が動く(突く)以前から丹田より気力が漲り、その気が全身の毛穴から吹き出るが如くの「今ここに我あり」の宇宙一個の我が空手道の体現者となるのであるが。当然、その次元に向うには段位は全く関係ない。
・・スーパーコンピューター恐るるに足らず。武禅は「拳禅一如」を通して「そこ」への一点突破を試みて武(空手)の真髄を掴む(大調和に溶け込む)べく、「そこ」への扉を突き破る「巻き藁鍛錬」が伝統空手道(=三戦道)そのものの体現であり、その確信は「空手の先にも後にも空手は無く、今ここに空(空手)のみが存在するのである」・・・若き空手家諸君!巻き藁を突いて!突いて!「そこ」へ突き抜けろ!

武禅三戦道の「巻き藁」

武禅三戦道の「巻き藁」

武禅三戦道の「巻き藁」



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