2019年03月20日

武禅・「その一点・先の先先先・・・」

武禅三戦道の基本は「一点=先」の先の先先先先・・・が全ての基本ですが、その「基本(道)の継続」は禅の三要諦、「大信根・大疑団・大勇猛心」に支えられています。が、それは何も道場だけの実践ではありません、むしろ日常での実践(=本当の空手「道」)が試されるのです。
・・・・さて武禅の基本は(人間社会の全てに=だから空手は世界遺産になれる)組手や強力な実戦(護身術)にも十分力を発揮しますが、最早、私の人生(心)の関心事項は「空手10段・一撃必殺・競技空手」には全く関心、興味が湧きませんし「空手の歴史を知る、護身術の教授」も大事な事とは思いつつも(長くなるのでこの辺で止めます)

        
        <「武禅」一点(先)の先の先の先先・・・>
・武禅三戦道に入門された方には先ず基本の「その一点」を10分ほどで教えますが、実はこれで「終わりの始まり」で、あとは、感性の豊かな人や鋭い野心家は、もう道場を後にして、貴方次第自分の好きな職業で「一流」に成るでしょう(組手も同じ)しかし、貴方が一番に成っても「究極的には貴方は救われません」(一流選手やお金持ちの家庭や心の苦しみを見れば理解できるところで、これを解決するのが本当の伝統空手道です)(長くなりそうなのでとばします)


        武禅の「一点」先の先先先・・・・・とは
三戦や組手の基本の「この一点」は「禅」呼吸「三戦動禅」呼吸の基本中の基本(実践・大疑団)です。
例えば「コップの水に浮かぶ油の深い油層(個人差が有る)が個人的にも全体的社会的な人間の「心」とその現れ「現実」といわれている私たちの社会であるとします・・(「日本、沖縄、現代社会」を洞察するなら、武禅の言わんとすることがお解かりと思うので、省略します)

 「武禅・本来の自分」・・・武禅の教授する「その一点の先の先先・・・を見つめ」個々の心=を突き抜ける・・
武禅三戦道は「心=水面に漂う個々の思い深い油(自我)その不純物が長年浄化されずにどろどろに溜まっている事に沖縄空手道を実践する武禅正道館が伝統空手道の歴史の中でも初の、世界唯一の気づきの「空手道場」といえます。・・「沖縄伝統空手が平和の武道、世界遺産」と言うなら。「照顧脚下、武禅が提唱する、その一点、先の先先先・・・」で、先ず伝統空手家が率先して自己の心をととことん徹底的に見つめ、その「海面を覆い隠している深い重い人間の自我(業)の油層に「伝統空手の型を手段とした平和を希求す心」で、その「無心の呼吸」で「心に穴をあけ」本来の透き通った綺麗な美しい海水を「心に汲み通して」(私の造語)本来の自分に戻る(その先の先先を突き抜けて永遠(命)を悟る)・・・「武禅、本来の自分」とは、禅で云う「本来の面目」です(要検索)

まとめ:「求道に段位なし」の武禅は伝統空手が失伝?した「人(私=心)=求道徹底=伝統空手の型の真髄=空手に先手なし=奥妙在錬心」等々を坐禅と三戦(型)の実践を通して「伝統空手道が人類調和(平和)」、今だ宗教は混迷(苦しい個々の心)の時代を打破できていない人間社会、我が国の現実を鑑みれば、空手家と称し「オリンピックに現を抜かしていては本場伝統空手(沖縄)の名折れである」・・・伝統空手の呼吸(型)は道場の内外で、特に外の実社会に於いては「その呼吸」は、「家庭円満、技術向上、身心の不安解消」等に即効性(力)を発揮する、又道場内では護身術、空手の攻防自在の運動の醍醐味を趣味として、武道的には「寸止めの極意」にその向上の確信に至りつつも、道場内外に「敵無し、内奥に攻防無し」と姫よ「明るく大らかに人生二度なしと、天に命をさらせ」・・

「武禅の縁」・私はあなたの手を取り、そっとドアに触れさせる。が、貴方は貴方以外、他人を頼ってドアを開けようとしてはいけないし、又それでは決して「そこ」への扉は開かないだろう。・・・「押せ!叩け!叩け!叩け!」ただそれだけ、ただそれだけが武禅にとって愛おしいのだ。

 「空手家よ命に真剣たれ。伝統空手会館は万古不易の根源にうち立てよ!」


武禅・「その一点・先の先先先・・・」





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