2013年03月04日

「sanchin 三戦(3)」・・・情熱と集中の洞察

武禅正道の「三戦」はこんな感じ・・・「父ちゃん、また意味不明だし(たしかに)恥ずかしいから書かんでーを振り切っての強行ですムキー

 ・三戦呼吸の「緩急の隙間(私の造語)」を見つめる意識的集中が1~6の中央の赤い点が積極的静寂への集中(三戦意識)7はどのように表現すれば良いか迷っていた時に、先月お亡くなりになった歌舞伎の市川團十郎さんの辞世の句「色は空 空は色との 時なき世(へ)」が見事に当てはまる事に気づきました。おそらく市川團十郎さんは「時なき今」に生きていた歌舞伎俳優だったと思います、「みなさん、いつもありがとう。」が團十郎さんの口癖だったのもうなずけます。
「sanchin 三戦(3)」・・・情熱と集中の洞察


・・・「三戦・八歩連(鳴鶴拳)」を行うことにより、極めて高度な心身の調和状態が得られる。

三戦は強力な護身スタイル、剛柔流を体現する基礎(基本)のみに留まらず、その「意識的呼吸法」は、私が「禅」と出逢ってから更に意味合いが強烈に深まりました。

・・・・伝統剛柔流に内在する「三戦(呼吸法)」に秘める可能性は実社会の人間生活の質的向上にもダイレクトに貢献できるものであると確信に至っています(文字での説明には限界があり 故に道場があるし、そのほうが早く上達する)

武禅正道の「三戦」は、又の名を「三戦意識開発法」とも言えるが、私は決して空手の実戦性を見失ってはいない、むしろ「三戦」は実戦剛柔流空手の基礎とも言えるが、しかしその「実戦力向上」の魅力さえも凌駕する「真の魅力」が「伝統剛柔流三戦」にはあるということに気づき、それも紹介するのが「武禅正道館」の大切な使命でもあり、同時に武禅正道の矜持を賭して僭越ながら「日本の全ての伝統(心)」を守り抜いてきた先達の情熱に報いるべく想いに至っては・・・このブログも一介の居士である私の空手道に賭ける情熱の片鱗であり、この大宇宙超極微小の一箇男子宮城の生命が燃え尽きるまで・・・このただならぬ時代に「命懸けで(*´∀`*)挑んだ証として」遺すものとも言えます・・・

さて、いやしくも伝統剛柔流空手道の教士たる以上、真に国家の前途を憂えるなら「武禅正道の武道教育」はどうしても私の眼前に居並ぶ子供たちの20~30年先を見据えずにはいられないのであります・・・・ 
・・・・武禅正道館が単なる「子供たちのお相手係りを務めるに留まるか?」それとも「武禅正道空手道」(沖縄伝統空手道)が「明日の日本の国運を正しく担う人材の輩出機関となりうるか?」と先達が私に厳しく問いかけるのです。ですから「ブログ、私の想い」は武禅正道館が時代に流されるのではなくて、自らこの時代(人生一度きり)の潮流に潔く飛び込み「挑む、守る、秘める」と言う理由がそこにあるのです・・・ 故に、武禅の「縁」の子らにはいずれは必ず芽生えるであろうと信じる「誠の自立」への種まきこそ武禅正道館のもう一つの社会的使命でもあります・・・・

そして一般の方におかれましては、「空手道の修養の根本眼目」は正に変わりゆく時々(瞬間)常の正念場に「空手の精神」で「挑む=生きるんだ」という気概と覚悟に至ってこそ「武士」の称号(精神)に恥じぬ生き方であると悟り、即ち強靭な生命力を自らの肉体に宿して・・・実践者が「日々の経験と気づき、反省」を積極的で前向きな人生の糧へと転換するなら、伝統空手道が重んじる精神性がより際立ち「伝統空手道」が実践者個々の「真の内面的動力」直結の自覚を促して更に実社会において伝統空手道の実践者の「武徳」があまねく周囲を照らす幾筋もの「光」となり地域社会(伝統空手の使命ここにあり、沖縄より世界へ。)に放射されることになるら実に喜ばしいことであります。キラキラ ・・・娘が「父ちゃん 又こんな重いのかくから~がーん、ほんと今の人来ないよ~ダウン、男子が波平って言ってるから~・・・ハイ(´;ω;`)」




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