2012年10月03日

「再会の喜び」

先月29日土曜日、台風の影響を物ともせず30年ぶりに「第一回真和志高校14期同窓会」が行われ、大成功裡に終えることができました。
万歳\(^^@)/ 幹事会の皆様ありがとうございます。



同窓生の皆様お目汚し失礼いたします。
運良く私はまだ空手バカを続けています、興味のある方はどうぞお気軽に声をかけてください。  

「武禅正道館」:私は剛柔流空手道に出会って今年で三十一年目を迎えます。十六歳で立志。今日まで空手道を継続できたのは、湧川幸盛先生(空手道無形文化財の保持者)余宝炎老師(中国伝統武術鳴鶴拳継承者)師家崎山崇源老師の薫陶を受け、厳しくも温かい三人の恩師の眼差しと、本当に多くのご縁に支えられて武禅正道館は今日に至っております。誠に有難く感謝の念でいっぱいです。
さて、武禅正道館の理念は(「道は正しく」を心がけ、自然体の内に情熱を宿し、闘志を湧き立たせ技を練り、平和を祈る武の心)に集約されています。もし子供たちに武禅空手道を学ぶ機会が与えられ実践が継続されるならば、やがてその伝統の精神が子らの内に宿り、その心の種は何れ地域社会へと飛び散り、二、三十年後には必ず芽を出し花を咲かせ、確実に実り多い収穫の時を迎えると信じています。(尚、「情熱と集中の洞察」と題して一般の方は三戦と八歩連、坐禅が中心の稽古で何歳からでも始められます。) もし仮に正道館空手に実戦を問う者がいれば、その答えも用意されていますとだけ申し上げます。武の道を志す者の理想は「威ありて猛からず」・・・・・「道」は道場の内外にはなく、自己の内奥にこそ真実は隠れていると思うのです。
 一昨年、歌「トイレの神様」が多くの日本人の心の琴線に触れたのは何故でしょうか?私は「トイレ」はエゴが見え隠れする我々大人社会、自己そのものであると同時に「きれいな女神様」も本来備わっている人間の仏性を指していると感じています。仏性とは慈悲心、思いやりです。幼い子をよく観察していると、飼育小屋のうさぎ、池の鯉、遅れて泳いでくるカメさんや一匹仲間はずれのウサギさんにも餌を一生懸命に分け与えようとする優しさが自然に備わっています・・・・・私たち大人はいつの間にか忘れてしまったのかもしれません。

皆様「剣禅一如」という言葉をご存じでしょうか?武道家なら一度は耳にすると思いますが、しかし実践となるとそう多くはいません。私は空手は護身はもとより、空手道は「無心の縁」だと思っております。
 皆様、空手も人間生活の一部分にすぎません、もし空手が格闘競技としての武道なら、人間の修養上はさしたる影響力を持たないと思います。そして「人生の時計は一度しかネジを巻かない」は現在の学校教育にはない、スポーツにはない失われた価値観です。正道館空手は・・・・力強くこの人生を「生き切る覚悟道」です、特に青少年においては 思いやりを育みながら気力、体力を養いつつ伝統空手道の精神の涵養に努め、「道」においては心願の成就を本義とする誠の実践空手道が武禅正道館の存在意義であります・・・ そして更に深く空手道(三戦・サンチン)をあきらめず誠実に継続するなら「生涯青春」の妙諦が武禅空手道の中に在ったと必ず気づかれることでしょう・・・  願わくは門下生各位、武徳の研鑽を経て、皆共に「安心立命」の境地に至りたいものです。 ありがとうございます。 


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「再会の喜び」

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