2012年08月17日
「鳴鶴拳」・・・・余宝炎老師
21年前に「鳴鶴拳」を学ぶために香港経由で福州に降り立った。
・・・・「感無量」 全く不安はなかった。 それどころか、嘗て東恩納寛量先生と宮城長順先生が武術の研鑽に励まれたという この福州の大地に自分も先生方と同じ志で立っているという喜びに満たされていました・・・・・
余宝炎老師と息子の余丹秋兄さんには日本人である私を家族の一員として迎えてくださったことに心より感謝しています。 そして論理的且つ実戦的「鳴鶴拳」を余すところなく伝えんとする熱意、情熱には正に「武の心」に国境はなく、根は一つ目指す頂も一つと私に気づかせてくれました・・・
80歳を超えてなお 老師は私に胸を貸し稽古をつけて下さりました・・・・「宮城、焦らず努力しなさい」が老師の口癖であった、そして忘れられないのが老師の手にはいつも日本語の辞書が握られていました・・・・「余宝炎老師 ありがとうございました」
二列目、中央の黒い服を着た方が余老師と親交のあった有名な「少林寺」の海灯法師(余老師はその右)
余宝炎老師、余丹秋先生と
・・・・「感無量」 全く不安はなかった。 それどころか、嘗て東恩納寛量先生と宮城長順先生が武術の研鑽に励まれたという この福州の大地に自分も先生方と同じ志で立っているという喜びに満たされていました・・・・・
余宝炎老師と息子の余丹秋兄さんには日本人である私を家族の一員として迎えてくださったことに心より感謝しています。 そして論理的且つ実戦的「鳴鶴拳」を余すところなく伝えんとする熱意、情熱には正に「武の心」に国境はなく、根は一つ目指す頂も一つと私に気づかせてくれました・・・
80歳を超えてなお 老師は私に胸を貸し稽古をつけて下さりました・・・・「宮城、焦らず努力しなさい」が老師の口癖であった、そして忘れられないのが老師の手にはいつも日本語の辞書が握られていました・・・・「余宝炎老師 ありがとうございました」
二列目、中央の黒い服を着た方が余老師と親交のあった有名な「少林寺」の海灯法師(余老師はその右)
余宝炎老師、余丹秋先生と
Posted by Uyanpara at 00:02│Comments(0)
│沖縄鳴鶴拳研究会