三戦道(伝統空手)の目的

Uyanpara

2017年01月16日 01:15

「シャボン玉飛んだ♪屋根まで飛んだ♪屋根まで飛んで、こわれて消えた・・・♪」

・・・人生とは「シャボン玉の中の幻の心のシーソーな様なもので、伝統空手道(武禅三戦道)とは、その幻の心のシーソーの中心の支点を積極果敢に歴代の師と共に探し当て、更に正にその針のさきほどの「正中心」を時空を越え歴代の師の志を引き継ぎ、即ち師と共に又道の半ばで倒れた名も無き同志の志と自分が一つになって、そして今ここ、その探し当てた因縁の針の先に、その先に穴が空くほど一切目を離さず見続け(坐し、三戦を打ち続け)いや、そこの先から光が射していると、今貴方が気づいたなら、君は迷わず、その光に向かい飛び込むがいい・・・ シャボン玉と誕生ケーキのローソクの火は自らの意思で勢いよく一気に吹き消し又「パン!」と両手で叩き割ってこそ楽しく私と貴方の短い人生の本当の目的が達せられると武禅は思うのです。
・・・沖縄伝統空手道(三戦道)とは護身術上達を手段の「型」を通して日々不安定(不安=迷い)で時間の経過と共に錆びつき、辛うじて存在する幻のシーソーの様な「心」の支点「真中心」を見極め練ること(見る見る)だが、しかし、その多くの空手は「中心」を見失っているのが現実で、その最たるものは、まさに昨今の注目は「野球のピッチャーの投球ホームを、誰が一番規定に添った美しいピッチングホームかを競っている様にしか私には映らないのだが、しかし、すぐ誤解をするのが、じゃあ早いボールさえ投げればいいのか?又「一撃必殺」で人を倒す最強の空手が空手道の目的であり?それが武道教育の限界だと思っている伝統空手の師範は、ここ沖縄には存在しないだろう。じゃ?沖縄伝統空手道の真の目的は何か?武禅三戦道はその目的に三戦を通して最短距離で挑んでいるのです。

・・・武禅は美しいピッチングホームを競っても全く構わないと思っているが、その競技の真の目的が「悟り=安心立命=調和」が空手の目的で又その目的に向って空手の「縁」(=空手愛好家・武道教育)へ武道家として又空手の本場故にしっかりと「空手の真実を世界に指月する」の義務さえ果たせば、最早競技空手、金メダルが色あせてしまうのも事実であり、じゃあ何度も問うが「空手道」の日々目的は何か?(人生の目的は何か?)と武禅は人生に焦りさえ覚えるほど何度も自己に問わざるを得ないのです。


「三戦道」を紙飛行機(折り紙)に例えると・・・

伝統空手の「型」を紙飛行機に例えると、先生の師匠の折った紙飛行に近づく(真似る)ために、師弟共に「型を練る」(護身術も兼ねて)過程に現在は「昇級昇段審査」があるが、武禅正道館はその昇級段を「廃止」して、尚且つ型は「三戦」のみに特化するという沖縄伝統剛柔流空手道史に前例の無い「三戦道道場」で・・とうとう宮城は狂ったかと言われそうだが、しかし私には「心強い道連れ」がいて、「三戦だけでいいんだよ宮城君」と一番初めの言い出しっぺが師家崎山祟源老師であり「禅」であり、その始祖「達磨」でありDr稲福薫先生であるが、その出逢いには「人生とは斯くも不思議なものかと?」・・いや、全てが始めから不思議なこの世であり、この歳でようやく何故か巷の常識が些か胡散臭い?と二人の道友(偉大な先輩)に少し気づかせてもらいつつも、やはり長らく「常識の中」に居ながらも私は運よく16歳から折り続けている「紙飛行機」を通してようやく「人生とは一度きり」であるということに遅ればせながらもどうにか気づかせてもらったのが私の今生の唯一の収穫だとおもいます。

・・・・「沖縄伝統剛柔流」という大木の枝から一個の実が地上に落ちて、又そこから「三戦道」という小さい芽が地上に出つつあると、皆様にはぜひ微笑みながら「武禅」を温かく見守っていてほしいと思います・・・

「三戦道」とは美しい「紙飛行機」(折り紙)を作るために、しっかりと中心線を決め(見て)丁寧に焦らず伝統の型を練り「その次元上昇の決定的瞬間」を待つ人間時限爆弾が三戦道であるが・・「それ!それは教外別伝」・・・「一本に見える中心線は一点の連続」として気づき「その一点に集中して、そこを突き破り、そこ(空)に行く」のが「三戦道」である。

沖縄伝統空手と三戦道を通して最早その「一点」にさえ気づけば、又始めから「それを求める」(宗教の本当の目的)ことを人生の唯一の目的とす「照顧脚下、汝の足元の生業に中心(型)を見極め、それを更に突き進み突き破り、安心立命を掴むことこそが伝統空手道(人生)の真の目的であると思います」・・・ 沖縄伝統空手道と「三戦」(型)は紛れもなく「活人、救国の道」であり動「禅」であり、このブログでも何度も書いている様に、皆様が想像する「退屈な三戦」よりも、その継続は皆様の想像を遥かに超えた素晴らしい体験を武禅三戦道はお約束しますし、又「一点」を瞬時に「指月」するのが宮城の今生の役目です。

・・・沖縄伝統空手道を本当に「世界遺産」にと言うなら、本当の伝統空手道の「型(形)」の真髄「空手の真実」と「空手会館」の存在意義と貴方がこの時代、この場所に生きている事、平凡な日常に隠された偉大の「チャンス(宝)=大調和」を是非「三戦道」を通して掴み取ってほしいと思います。

例えば、我々は白紙(現実と言う)に射した針の穴から無数に洩れる白紙の裏に隠れた、紙の表からはイルミネーションの無数の電球の様な「光」が人間個々の命であり、一つ一つの灯りが紛れも無く大宇宙の真中心であるが、多くの現代人は己の自我、我見により光力が極端に鈍くなっていることに気がつけずに苦しんでいる?姿が人の(人類の永遠の課題)苦悩の原因だと武禅は直感している。

・・・又更に「私」はその「光の穴」を通して見る個々の「光=中心」が「この世に生まれた肉体の業ゆえに」その肉体と云う「自我」が本来は紙の表裏に在る「光」は一つである真実に気づけずにいて(本来は全てが一なのに、自我によって光の一つ々が皆自分だと思っている)或いはそれを真剣に解決しょうとしても「正しい教に」出逢うのは困難であるし、もし私が「沖縄伝統空手道と三戦道に運よく出会わなければ」光力を見失った、ゾンビの様な生きた屍を生涯纏って、たかだか数年とはいえ、この奇跡の時間(人と生まれし人生)チャンスを無駄にして終えるのである。

しかし皆様、驚くことなかれ正に人類の奇跡「沖縄伝統空手道」は、先ずその「私(自我を通し)という光の一点に空手道の型を通して(奥妙在錬心)「自他一如、万物は全て一つを悟りつつ」も更に深く深く「光=中心」に向って「型を打ち続ける」(只管他坐と同じ=動禅)ことの意義を深く理解して生涯を賭けて実践するのが「沖縄伝統空手家、三戦家」なのでり、故に武道の目的である「悟り」を標榜、公言できない実戦空手とスポーツ空手は「悟り」とは永遠に縁が無くもったいなく「道」とはかなり遠い存在の武道(建前)と思われるのです。(世界チャンプが覚道に上ることを武禅は期待しています)

・・・武禅正道館は昨今では僧侶さえも「悟り」を遠慮して言わない者が多い時代に、武禅は堂々と「悟り=安心立命=戦わずして勝つ=空手に先手なし」が「伝統空手道の目的(奥妙在錬心)」であると未来の空手(人)向けて宣言して、この現代だからこそ「心」「悟り」を強調しても、いや「伝統空手道」こそが大いに「悟り」を全世界に強調して、我々伝統空手家は各流派の空手の祖師の求めたその先に鎮座する「心・禅=達磨・釈尊」の教えが「伝統空手道の真髄」であると勇気を出して言えばいいし、又そこにしか100年先の「沖縄伝統空手道」の発展は約束されないのである・・・「それ」は「型」によって必ず気づけると、武禅三戦道はその人類誰もが自分の目の前に放たれた「光の先」の根源と誰でも一体になり「安心立命、身心一如」の境涯を獲得できると信じます。
尚、実戦空手・スポーツ空手も建前である精神論を真剣に追究して、スポーツ空手、実戦空手の究極が「悟り」であると目的が明確になるならば、皮肉なことに、その競技、金メダルへの執着は「悟りの光=求道心」によって、人類が新たな道標(次元)に向わざるを得ず、即ち最早運動競技空手への感心が薄れ空手道(人生)の価値観に大きな変化の気づきが訪れることでしょう。(キビシイ意見でゴメンネ)

・・・日本人の感性は日々の生業に型(工夫)を観て、その飽くなき技術練磨は、自から中心に気づき、更に技を磨き続ける喜びが「日本人のDNA」には刻み込まれていて、その探究練磨道の精神はいずれ自己の中に奇跡の「神(愛・感謝)」を観て、その一人の人間(神人合一)の静かな意識が全世界の調和へと人知れず大貢献すると云うことを武禅三戦道は確信しています。

さて、人類の近い将来に人工知能(科学)がいかに緻密に合理的に人類を支配しょうとしても「汗臭い空手着をきて、泥臭い伝統の型を打ち続け崇高な眼光を放つ空手家、三戦家のひと睨み(意識)で科学(機械)が容易に従順に人間に従うなら、我々人類の未来は実に安全で健康で愉快な世界が待っていることでしょう」・・・

*確かな「中心」の指月が武禅三戦道であり、このブログの私の拙い能書きも日々三戦練磨の実践の勧めの只一点に尽きるだけなのです。是非皆様も下手(不器用な人生でも)な紙飛行機でも決して中心を見失わずに、いずれ針の先ほどの中心に穴を開けて突き抜けて・・・願わくはその光に満ちた個性が大らかにユーモアを放ちながら皆様の人生が、家庭、地域、職場で静かでドンと安定した、大河の流れの様な静かな力の存在になって頂きたいと願います。共に生きましょう・・・合掌。



折り紙の如く伝統の型(三戦)を通し中心を自覚して、70億人70億の心のシーソーの支点を一点集中突破の図。伝統の「型」は全ての個性を認める中心自覚(悟りへの)道である。
       










                            なんくるないさ~


         「沖縄伝統空手会館は万古不易の根源に立てよ」


 




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